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対馬丸・奄美の語り部 大島安徳さん(98)死去
81年前、学童疎開船・対馬丸の犠牲者が流れ着いた鹿児島県の奄美大島で、対馬丸の悲劇を語り続けてきた大島安徳さんが1日亡くなりました。98歳でした。
太平洋戦争末期の1944年8月、沖縄から九州へと疎開する大勢の子どもたちを乗せた学童疎開船「対馬丸」が、鹿児島県の悪石島沖でアメリカ軍の攻撃を受け沈没し、奄美大島には多くの遺体や生存者が流れ着きました。
当時18歳だった奄美大島・宇検村の大島安徳さんは、遺体を手厚く埋葬し、生存者の救護にもあたりました。
大島安徳さん:
あの光景は忘れませんね。それこそ僕は肉の海と表現しましたよ。まさに肉の海
この悲劇を忘れてはならないと、戦後語り部として活動を続けてきた大島さんは、2017年に船越海岸に完成した慰霊碑の建立にも尽力しました。
関係者によりますと、大島さんは2月1日、老衰のため奄美市内の病院で亡くなったということです。98歳でした。
対馬丸記念会 高良政勝代表理事は、対馬丸や犠牲者に思いを寄せ続けた大島さんを偲びました。
対馬丸記念会 高良政勝代表理事:
一人一人埋葬してくださったんですよね。犠牲になった人たち、その家族も大島さんにはいくら感謝してもし足りない
対馬丸記念館では、今後も沖縄県内の子どもたちを宇検村に派遣し、大島さんの功績を語り継いでいくことにしています。
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