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巨大津波は何度も押し寄せていた 石垣島の半数の住民が犠牲になった「明和の大津波」
2011年3月11日に発生した東日本大震災から、まもなく11年を迎えます。甚大な津波被害が発生した震災はもちろんですが、沖縄特有の津波被害を風化させないためにも、OKITIVEでは3回に渡り沖縄エリアの津波に関連した記事をご紹介します。第2回目の今回は「明和の大津波」です。
かつて、死者・行方不明者が1万人以上を数える津波被害が発生したことを、沖縄県民であれば一度は耳にしたことがあるはずです。宮古諸島・八重山諸島の沿岸部を襲った「明和の大津波」について、当時の書物や現在も受け継がれてきた教訓を取り上げます。

毎年4月に石垣市で執り行われる慰霊祭。今から251年前、島の半数近くの住民が命を落とした「明和の大津波」の犠牲者を追悼し、その記憶を受け継ぐために開かれています。
1771年4月24日、石垣島近海で起きた地震で津波が発生。八重山諸島と宮古諸島に押し寄せ、死者・行方不明者は合わせて1万1,861人に上る未曽有の大災害でした。当時の元号にちなみ「明和の大津波」と呼ばれています。

八重山博物館が所蔵する「大波之時各村之形行書」には、津波の様子が次のように記されています。
「大波黒雲之様翻立、一時ニ村々江三度迄寄揚(大波、黒雲のように翻り立ち、一時に村々へ三度まで寄せ揚がる)」

津波の痕跡は、各地に残されています。
宮良湾のリーフの内側に点在する大きな岩。沖から津波で打ち上げられた「津波石」です。

石垣市大浜の公園内にあるのは、生い茂る樹々に覆われた「津波大石(つなみうふいし)」です。直径12メートル、重量は500~600トン以上とされています。

251年前の明和の大津波で打ち上げられたと考えられていましたが、サンゴの年代測定から約2000年前には陸に運ばれていたことがわかりました。つまり明和の大津波の以前にも巨大な津波が起きていたのです。
その後の研究ではさらに、約600年間隔で同じ規模の津波が数回起きていた可能性も指摘されています。

明和の大津波を教訓にした避難訓練が行われている石垣市。
慰霊祭に参加した児童の代表は「津波は自分のところには来ないと思わず、起きた時には自分の命を守る行動につなげて欲しい」と訴えました。
地域に刻まれた歴史は、「過去の出来事」では済まされないという津波の教訓を伝え続けています。




執筆:佐久本 浩志
略歴
沖縄県那覇市出身。首里高校を卒業後、久留米大学へ進学し、2005年OTV(沖縄テレビ放送)に入社。2010年からアナウンサーを務める。報道デスクとして日々のニュース番組作りに携わる。
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