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飲酒運転事故で両腕麻痺、家族も失う… 高すぎる代償「俺みたいになるな。」と体験を語る

目次
飲酒運転が原因の事故で両腕に麻痺(まひ)が残り、その経験から飲酒運転根絶のために自身の体験を語り続ける男性がいる。飲酒運転が大きく変わった人生。自分と同じような境遇になってほしくない。男性には伝えたいメッセージがある。
飲酒運転の高い代償
宮城恵輔さん
「はじめに僕がどうしても伝えたいこと。『俺みたいになるな』ということです」
2024年7月12日、北谷(ちゃたん)町で飲酒運転根絶に向けた講話をしたのは、飲酒運転根絶アドバイザーの宮城恵輔さん。

2005年、21歳の誕生日を迎えたばかりの宮城さんは、友人が開いてくれた誕生日会で酒を飲み、バイクで帰宅する途中で事故を起こした。

宮城恵輔さん
「朝方まで浴びるほど酒を飲んで『じゃあ、そろそろ帰るか』。そんな会話をして、バイクに乗りました。キーを挿し、エンジンをかけ、走り出して交差点でUターン。そのあとの記憶はありません」
この事故で宮城さんの運転するバイクは縁石に乗り上げ、体は柵にぶつかり、地面に叩きつけられた。

事故後のバイクやヒビが入ったヘルメットの状態からも、事故の激しさが伝わる。
失ったものは体だけじゃない
宮城さんが意識を取り戻したのは、事故から1週間後のことだった。

宮城恵輔さん
「最初から事故ったことも理解していて、けどまだ生きているな、またバイクに乗れるなと思いました。障がいが残っているということはまだ気付いていなくて、また普通の生活に戻れるなという風に思っていました」
この事故で頭などを強く打ち、宮城さんの両腕には麻痺が残った。

宮城恵輔さん
「絶望的ですよね。どうやって仕事ができるんだろうとか、これからの生活どうなるんだろうという不安が大きかったですね」
21歳になったばかりで、突然介護が必要になった宮城さん。事故で失ったものは、五体満足の体だけではなかった。

宮城恵輔さん
「事故当時、私には妻と子どもがおり、幸せな日々を過ごしておりました。しかし、自分自身の面倒も見られない体になってしまいました。これから先、私の過ちのせいで妻に面倒をかけるわけにもいかず、いつまでも妻を自分のもとに置いておくのは申し訳ないので、離婚することにしました。僕は自分の体の自由だけでなく、家族も失うことになったのです」
なんでこんなことをしたのだろう
宮城さんは事故を起こす前も、飲酒運転が危険であることは分かっていたと言う。それでも「自分は事故を起こすはずがない」と当時はそう考えていた。
宮城恵輔さん
「生きてて良かったと家族は思ってくれているとは思うんですけども、今でもすごく負担になっているし、ぼく自身もとても重荷になっているので、やるせないというか。何でこんなこと(飲酒運転)をしてしまったんだということを、本当に戻れるなら怒りたいというか、後悔の念がすごく強いですね」

悲惨な事故で人生が一変してしまう恐れのある飲酒運転。
ハンドルを握る前に大切な人の顔を思い浮かべて
沖縄県内では、2024年上半期の時点ですでに632件、飲酒運転で検挙されている。
そして、飲酒がからむ事故は34件発生し、そのうち3件は死亡事故に繋がった。

繰り返される過ちに宮城さんは、自身の経験から飲酒運転根絶アドバイザーとして「俺みたいになるな」というメッセージを訴え続けている。
宮城恵輔さん
「僕みたいに何かしら、けがをしたりとか、不自由になる人が少なくなっほしいなという思いでずっと活動しています。いまこの体になって、(飲酒運転に対する認識が)甘かったなというのをすごく痛感しています。何かあってからでは本当に遅いので、いま僕のこの声が届いたのであれば、今すぐ飲酒運転をしないということを決意してほしいなと思います」

宮城さんは、ニュースで見る飲酒運転の事故を他人事だと思い、「事故を起こす奴は運が悪いだけ。俺は事故らない。捕まらない」と考えていたとのこと。
宮城恵輔さん
「こんな甘い考えがこのような結果を招き、五体満足で産んでくれた親、さらには僕を愛してくれて、子どもを産んでくれた妻、僕のもとに産まれてきてくれた娘、妻の両親、祖父母にまで大変な迷惑をかけてしまいました」

飲酒運転が自分だけでなく、家族や友人の人生まで大きく変えてしまうことを誰よりも知っている宮城さん。
不自由になった自分の姿を見て、ハンドルを握る前に大切な人の顔を思い浮かべ、「飲んだら乗らない」ことを徹底してほしいと活動を続ける。
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