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「海に名前をつけよう」海への感謝のギフトとして贈られた名前は!?【平良いずみのよんな~よんな~通信】

浦添西海岸に名前をつけるプロジェクト
海が好きだ。ただただ好きだ。
その海に名前をつけようという粋なプロジェクトが始動したと聞き、勇んでインタビューに出掛けた。

「どうして海に名前をつけようと思ったのですか?」との問いに、呼びかけ人の写真家・タイラジュンさんは…
「僕たちは子どもが生まれると名前をつける。名前っていうのは、その命に対して初めて贈るプレゼントのようなもの。その名前を親は死ぬまでずっと呼びかける中でいろんな関わり合いが出てくる。だからこの海にもステキな名前をプレゼントしたいんです」と、優しく暖かい声で答えてくださった。

タイラさんが愛称を募ったのは、米軍キャンプキンザーが返還され、2年程前に市民に開放された浦添西海岸。南北3キロ、東西1キロにわたりサンゴ礁に囲まれた浅瀬・イノーが広がる。
波が穏やかなイノーで、生き物たちは産卵し命を育む。そこは命のゆりかご。
春になると、イノーはアーサの緑の絨毯に覆われる。そのアーサ摘みが何よりの楽しみと目を細めるのは、タイラさんの想いに呼応した港川自治会の銘苅全郎会長。
海でとれるものは、すべてタダ!

「海でとれるものは、すべてタダ!私は“食える自然”にしか興味がない(笑)」との銘苅さんの言葉で、私の中で子どもの頃の記憶が鮮やかに蘇った。
「海があれば何とかなる」
子どもの頃から私は、潮干狩りが大好きだ。カレンダーで大潮の日をチェックしては、海に連れて行ってほしいと母にせがんだ。潮干狩りを好きになったのは、その母の影響が大きい。
母は、私が4歳の時に、価値観の違いから父との離婚を決意。当時、母には定職も安定した収入もなく、私と姉の2人を抱え、将来に対する不安は大きかっただろう。しかし、母は楽観的で、その口癖は、「海があれば何とかなる」だった。豊かな食糧を育んでくれる”食べられる自然”がそこにあれば生きていけるということを海辺のまちで育った母は知っていた。
家族3人でバケツいっぱいの貝がとれると、確かに、これで大丈夫と心を強く持てた。
お金がかからない上、夕飯のおかずを得られる潮干狩りは、わが家にとって最高のレジャーだった。海には、そんな家族の記憶も刻まれている。

「分断をこえて…」
豊かな恵みをもたらす海、浦添西海岸にはいま那覇軍港の移設に伴う開発計画が持ち上がっている。

タイラさんは「開発か保全か…、これまで嫌というほど人々が分断されるのをみてきた。そうならない工夫が必要」と、丁寧に言葉を紡ぎ、行動を重ねる。
銘苅さんは「これは政治の問題ではなく、世代の問題。経済優先で埋立てを許してきた、自然を食いつぶしてきた私たちには、今ある自然を子どもたちにつないでいく責務がある」と力を込める。その言葉の通り、銘苅さんは、浦添西海岸の北側のカーミージーと呼ばれる浜辺を学び場として活用する里浜活動を15年以上にわたり続けている。

海へのギフトとして贈られた名前は!?
12月はじめ、タイラさんと銘苅さんが愛してやまない海の名前が決まった。
300あまりの候補から選ばれたのは・・・
「ティダ結の浜」
タイラさんは「浦添を表すティダ(太陽)と海にたくさん人が集う結で素晴らしいイメージ」と笑顔を輝かせた。
海への感謝のギフトとして贈られた名前が長く人々に愛されますように・・・。

命綱として海
自分が母になって思うのは、自然という命綱を子どもたちにつないでいかなければならないということ。 人間はもろい生き物だ。だから自然に生かされていることを知り、自然から恵みを得て生きていけることを知ることが、この社会を生き抜く力になると思うのだ。
お二人のインタビューを紹介したニュースの特集で、BGMにBEGINの「海の唄」を乗せた。
その歌詞がずっと耳の奥に響いている。
♬いつか悲しみは影となり 光の中で道に変わる
泣ける強さと負ける優しさ
いつか大人に変わってゆく♬
開発を追い求めてきた戦後の沖縄が、大人に変わってゆく・・・その日を夢見ている。
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