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2025年2月13日は3回目のお正月!?沖縄の旧暦行事「ジュウルクニチー(十六日祭)」
私が経験したジュウルクニチー(十六日祭)
私の生家は沖縄本島南部の那覇なので、本来なら、さほどジュウルクニチーを盛大に行わない地域です。しかし亡き祖母のルーツが八重山(石垣島)だったため、祖母はジュウルクニチー(グソーヌ正月/十六日祭)を盛大に行いました。
その際、重箱料理の支度(ジューバクシコー)を担当するのは、母の役割でした。
現在は観光客向けのお店が連なる平和通りや牧志公設市場で重箱料理の食材を購入するのですが、三枚肉、昆布、餅、生菓子など、それぞれに行きつけの店があり、食材の買物だけで一日がかり。さらに購入した食材を調理するのに半日を要し、手間ひまかかる大仕事でした。
私はそんな母の背中をみながら、水で戻した乾燥昆布を結び昆布にしたり、煮付けに使うゴボウの皮をむいて5センチほどの長さに切りわけたりする作業を妹と担当しました。
三段重ねの重箱に、半日かけて準備した重箱料理を詰めたら、お墓まで持参します。その後、当時ウフヤーアンマーだった亡き祖母が、拝みの口上を述べます。口上を終えたら、お墓に集った親族全員で重箱料理をいただきました。

最後に。
八重山をルーツとした祖母が亡くなり、ウフヤーアンマーが母に引き継がれてからは、お墓参りをするほど盛大なジュウルクニチーを行わなくなりました。
それでも私の生家では現在も重箱料理を準備して仏壇に供え、日ごろから一族を護ってくださるご先祖様に感謝の気持ちを伝えて、一族の息災をご先祖さまにお願いすることは変わりません。
生前の祖母の足腰が弱り、徐々に年中行事が母に受け継がれていた頃、「お母さんは、すっかり我が家のウフヤーアンマーだね。」と、満足そうに笑う祖母の表情を時折思い出します。沖縄の年中行事が連綿と血縁に受け継がれていく様子を目の当たりにできたことは、娘の私にとっても貴重な経験だったと思う最近です。
今回は、年中行事から「ジュウルクニチー」を紹介しました。
次回も、沖縄ならではの年中行事「シーミー(清明祭)」についてお伝えしたいと考えています。
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