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【死ぬかと思った】NAHAマラソン2022&人生初フルマラソン体験記

目次
第36回NAHAマラソンに出場した。本気で死ぬかと思った。
OKITIVEでNAHAマラソンの記事を書くことは事前に確定しており、「完走した!!って書けたらカッコいいな~」とヘラヘラしてたら当日無事にこの世の地獄を見た。
そんなわけで、今回は「初フルマラソン&長距離ランは12年ぶり&人生の最長ラン記録は9.5kmな33歳デスクワーク会社員がお届けする実録NAHAマラソンレポート」です。
長くなります。
フルマラソンだけに。\どっ/
出場を決意~NAHAマラソン本番まで
NAHAマラソンに申込んだのは2022年9月初旬。きっかけは当時交際5ヵ月の恋人マン。婚活王は結果にコミットした。
彼に「今年はNAHAマラソンやるらしいけど走る?」と聞かれ、深く考えずに「走ってみたい!」と返答。
その足でローソンに行き、「12,000円払って42.195km走る(とてもキツイことをする)の、よく考えたら普通にやべぇな」と遅れて正気に戻りつつ申込みを完了した。
それから本番までのおよそ2ヵ月半、彼とせっせと練習を重ねた。その内容は以下のとおり。
・週1走る(平日夜)
・昼練は1度だけ
・走った距離は最長10km
どう考えても準備ド不足なまま本番を迎える。
この体たらくで「フルマラソン完走した~い」とかいい出すのでIQ2の初心者は怖い。

本番直前~スタート:応援がすごい
会場の奥武山公園に到着し、スタート地点に向かう。目標タイムを6時間で申込んだところ、スタート地点は最後尾の「K」になった。
8:30までに待機し、9:00のスタートまでストレッチとTwitterに励む。

そして、いよいよスタートのとき。
マラソンのスタートは「パァン!!」というピストル……かと思ったら「ゴォォ~~ン」という渋い鐘の音。年明けたかと思った。
最後尾のためすぐに走り出すことはできず、9:10頃、ようやく奥武山公園を出発してゆるりと走りはじめた。
58号線では道沿いや歩道橋の上から多くの方が応援してくれ、ウキウキとした気分で国際通りにイン。


応援が、すごい。
バルーン、楽器隊、エイサー、コスプレ、阪神タイガース軍団、旗に横断幕、コンサートうちわ、そして歓声に次ぐ歓声に次ぐ歓声。
さらに、飴、塩タブレット、黒糖、みかんやバナナなどの差し入れを用意してくださった方もたくさんいた。
この歳になって、こんなに大勢の方々から、こんなに温かい声援を浴びまくること、ある……??
密かな感動に打ち震えつつ、飴や黒糖をモリモリいただきながら国際通りを抜けた。
5~15km地点:YMCAした
「7kmくらい走ったところにYMCAをする集団がいる」
事前に恋人マンからそう聞かされるも正直「?????」だった。
で、7km辺りで意味が分かった。YMCAをする集団がいた。

『Y.M.C.A』の音楽に合わせ、全力の歓声と踊りを見せてくれる。こちらはNAHAマラソンの名物応援らしい。
坂道を上ってきた直後で少し苦しかったが、「なんでYMCA!!」とゲラゲラ笑いながらYMCAのジェスチャーに続く。
恋人マン曰く「YMCAを見て笑顔になれたらまだ大丈夫、余裕がなければ笑えない」とのことで、笑って踊れてホッとした。ありがとうYMCAの人たち。
ちなみに恋人マンは10km辺りで視界から消え、直後「おれのことは気にせず突き進め!!」とのLINE。以後会うことはなかった。(のちにリタイアしてた)
10km~ハーフ(第1制限地点):そして地獄がはじまる
南風原町を抜けて八重瀬町、確か15km辺りを走っていた頃だったと思う。
「あれ、もしかして、しんどい……??」
なんだか思ったより息苦しく、早くもちょっと足が痛い。想定と違う。
あれ。おかしいな。苦しみとの闘いは30kmくらいからっていってたよな。ハーフまでは誰でも余裕っていろんな人がいってたよな。
嘘じゃない???
ハーフどころか15kmでもけっこうキツくない????
あと「ハーフまでは余裕」っていってた恋人マンはどこ?????

八重瀬町から糸満市にかけてのコースは坂道が多く、しかも天気は雨降りからのド快晴。すなわち蒸し風呂。
で、気温29度。夏?
さらに、10km以上のランは未知の世界。なぜ過去の自分は「10kmいけたらフルいける」と思ったのかタコ殴りにして問いただしたい。
ここでも元気をくれるのは沿道の応援。「あと2kmでこの坂道終わって中間地点だよ!!」という力強いかけ声が聞こえる。
あと2kmもあるの?????
ビックリ絶望しながら走った。

自分でも引くほど息絶え絶えに、なんとか中間地点の平和祈念公園に到着。
ここは「第1制限地点」となり、制限時間3時間15分をオーバーすると失格となる。
この時点で、わたしのタイムは3時間3分。
絵に描いたようなDead or Alive。
ゴールまでの制限時間は6時間15分。立ち止まる暇などなく公園を走り出す。
その少し後、背後で時間オーバーの花火が上がった。
中間~34km(第2制限地点):妖怪になる
ハーフを無事にクリアした安堵も束の間、今度は「第2制限地点(34km辺り)」まで2時間ちょっとで走らなければいけない。こんな世界に誰がした。
ハーフを過ぎる頃にはもう「走る→痛い→歩く」を繰り返すように。
もう、とにもかくにも足が痛い。
こんな激痛生まれてはじめて。走っても歩いても止まっても泣いても叫んでも痛い。
上り坂は無理せず歩き、そのぶん平坦な道や下り坂、木陰ではできるだけ走ることにした。
苦しみから逃れたいときはひたすらに脳内で九九を唱えた。これは練習中に編み出した現実逃避法である。

給水所を見つけるたびに、水を足と背中にぶっかけた。
氷の差し入れやホースで水を噴射してくれる応援は非常にありがたく、氷はシャツ内にぶち込み、水はありったけ浴びた。
顔は苦痛でグシャグシャ、水で全身ビチャビチャ。ときどき足の痛みに奇声をあげる。妖怪の誕生である。

幸い、ハーフを過ぎた頃から「下り坂・平坦な道・木陰」が増え、太陽も出たり隠れたりで走りやすくなった。
おかげで、30km地点でタイムは4時間15分。
第2制限地点まで、残り4km、そして残り55分。いける気がする。
希望が見えると足取りも軽く、は微塵もならないが、糸満市⇒豊見城市に入ることには応援の方々がまたグッと増え、非常に力を(あと飴と塩と氷と黒糖を)もらえた。

そして、無事に第2制限地点に到着。
確かタイムは4時間45分くらいだったと思う。
残り1時間半で、距離はおよそ8km。
ここまで来たらいよいよ完走が現実に見えてきた。
34km地点~いよいよゴールへ!………と思うじゃん
第2制限地点を過ぎると那覇は目前、そしてゴールの奥武山公園だってあともう少し……
と思った。

いや、小禄バイパスの坂道えっぐ。
およそ3kmにおよぶ上り坂。
さらに追い打ちのド快晴、カンカンの日差しを遮るものが何もない。
暑いわ息苦しいわ、あとはもうなんで動けるのか意味不明なくらいに下半身が激痛だわで、最後の最後に試練がすぎる。
冷却スプレーをもった方を見かけるたびに「お願いしますスプレーかけてください!!!!」と懇願し、「もうちょっとだよ頑張って!!!!」と激励と冷気を何度ももらった。
また、この道には恋人マンのご家族が応援に来られていて、瀕死の形相でありがたくアミノバイタルをいただいた。
お姉さまとは妖怪のまま初対面となった。次は人間として会いたい。

ガックガクの足で小禄バイパスをなんとかクリア。
40km地点到達する頃には、制限時間まで残り30分。
これならギリギリ間に合うぞ………と思っていた矢先、イオンの前にいた応援のおじさんが叫ぶ。
「あと15分しかないよ~~~頑張って~~~!!!!」
あれ、制限時間って6時間なの?????
(※6時間15分です。あのおじさんは一体)
血の気がサッと引いた。
あと2kmを15分、歩いていたら間に合わない。
ここまで来てギリギリ失格になろうもんなら、悔しさで身体が爆散してしまう。
最後の力を振り絞り、全力(本気出した亀のペース)で走った。

そしていよいよ、ゴールとなる奥武山公園に到着して……

凄まじい声援のなか、園内をメロスのごとく駆け抜け……

野球部のみなさんと歪んだ笑顔でハイタッチを交わしながら、ラストの競技場に足を踏み入れ……
トラックを半周ほど、フラフラしながらぐるりと走り……
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GOAL!!!!!!!!
タイムは6時間1分11秒、NAHAマラソンを無事完走した。
明らかな練習不足、足の激痛、ヤバい気温、ヤバい湿度、ヤバい日差し、行方知れずの恋人マン、さらなる激痛、追い打ちの小禄バイパス、制限時間短縮おじさん、終わらない激痛と激痛。
あらゆる苦難を乗り越えて、たくさんの応援に力をもらって、NAHAマラソン、無事、完走した。
めっっっちゃくちゃ嬉しかった。
**
完走の嬉しさと苦しみからの解放感に包まれながら、走る足を止める。
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛っっってぇぇぇぇぇ。
痛すぎてドン引きした。この足でどうやって走ってたのかマジで人体の不思議。これがランナーズハイ???(たぶん違う)
生後3秒の小鹿みたいな足取りで完走メダルを受け取り、なんとか芝生の上に座り込んだ。
その少し後、タイムアップの花火が上がった。NAHAマラソンが終わった。
初のNAHAマラソンを終えて

ゴール後、園内でグッタリしていたらテレビの取材に声をかけられた。初フルマラソンの感想、あとは完走の秘訣などを聞かれたのち、最後の質問が飛ぶ。
「では、来年のNAHAマラソンも、もちろん……?」
「わ、今は(出場を)微塵も考えられないです!」
考える前に口から出た。たぶん放送されないと思う。
**
だけど、周りのフルマラソン経験者たちはいう。
「それでもまた走りたくなるから怖い」
マラソンという競技の魅力、そして「NAHAマラソン」というイベントの魅力が、次回も、そしてまた次回も……と、ランナーたちを沼に引きずり込むそうだ。
正直、その感覚が分からなくはない自分が怖い。
2度と体験したくない痛み&苦しみを味わったのに、「もし来年も走るなら…」と頭のド隅で考えている自分も確かにいる。
もし、もしも万が一、また来年も走るなら。
とりあえず練習で1度くらいフルを走っておこうと思う。昼に。
ちゃんと練習する。それが今回の最たる教訓である。
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