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家族9人を失った男性 学童疎開船・対馬丸の悲劇を後世に伝えるため記念館建立に奔走

対馬丸に一緒に乗った家族9人を失った髙良政勝さん。同じ悲劇を起こさないことは犠牲になった子どもたちから指し示された「課題」だとして、平和への思いを後世に伝えるべく奔走している。
「犠牲になるとは微塵も思わなかった」
対馬丸記念会 代表理事 髙良政勝さん(82)
「パッと写真だけ見せられて、これ誰と言われても私はわからない。はっきりとわかるのは親父だけですね。4歳だった私がね、よくも助かったなと。つくづく思いますね」

対馬丸記念館で理事長を務める髙良政勝(82)さん。
政勝さんは4歳だった1944年8月21日に、家族11人で那覇港から九州へと向かう学童疎開船「対馬丸」に乗船していた。

対馬丸記念会 代表理事 髙良政勝さん(82)
「大和に行けば汽車にのれる。桜もある。勉強もできる。夢いっぱい膨らませてヤマトに行ったんですよ。微塵も自分がそういう犠牲になると思ってないんですね」

幼い子どもからお年寄りなど約1800人が乗船した「対馬丸」は翌日、鹿児島県の悪石島付近でアメリカ軍の潜水艦の攻撃を受け沈没。

対馬丸記念会 代表理事 髙良政勝さん(82)
「ふと気づいたときはもう、イカダか何かに捕まっていて、親が後ろから抱えていた。ちょうど台風が接近してたので、波が激しい。目や鼻に入って痛い。それだけが記憶に残る」

3日間、漂流していたという政勝さんは救助船によって助けられたものの、家族の中で生き残ったのは当時17歳だった姉の千代さんと2人だけだった。

対馬丸記念会 代表理事 髙良政勝さん(82)
「家族のことも全く記憶にないですね。写真があるので、これが自分の家族だったのか、兄弟だったのかということがわかるくらい」
政勝さんは幼かったこともあり、対馬丸や家族との記憶もほとんどない。
「決して知らせてはいけない」かん口令が敷かれるなか届いた手紙
19歳で鹿児島県に進学していた兄の政弘さんが沖縄の祖父母へ書いた手紙には、当時の様子が記されていた。

対馬丸記念会 代表理事 髙良政勝さん(82)
「(撃沈から)10日も経たないうちに書かれた手紙なんですよ。(当時は)かん口令が敷かれていたので、明らかに没収されるような手紙なんですけど、でも届いているんですよ。決して知らせてはならないと公にしてはならないということをまず書かれて」

髙良政勝さんの兄・政弘さんが書いた手紙
「救助船はやっと九時に入りました。夜も(海に)漬かっていた人ばかりでした。色は黒く皮は剥げ、全く恐ろしい様子でした。自分の親や弟妹はいないかとじっと一人ひとり見ていますとボーイに抱かれた裸の子が下りてきました。よく見ると政勝でした。ああ政勝よ、助かってくれてありがとう。と泣きながら言って走って勝っちゃんを受け取りました」

判明しているだけでも1484人が犠牲となった対馬丸での悲劇から1年後。兄の政弘さんと姉の千代さんと共に沖縄に戻った政勝さん。
対馬丸記念会 代表理事 髙良政勝さん(82)
「兄貴が獣医でね、動物の医者ですから、自分は人間の医者になろうと思って歯科医になりました」
「戦争の悲惨さを伝えるため」対馬丸記念館の建立に奔走
82歳の政勝さんは現役の歯科医だ。
政勝さんが院長を務める、たから歯科には幼い子供も診察に訪れることもあり対馬丸に乗船した当時の自分と重ねることもあると話す。

対馬丸記念会 代表理事 髙良政勝さん(82)
「こんなに小さかったんだって。歯もまともに全部ないし。こんなに小さい子まで犠牲になるんだと思うと本当に戦争は嫌だなと」
同じ悲劇は二度と起こさない。政勝さんらはそう誓い対馬丸の惨劇を後世に伝えるため犠牲者の遺影や遺品を展示した対馬丸記念館の建立に奔走した。

対馬丸記念会 代表理事 髙良政勝さん(82)
「特に子供たちがね、犠牲になってると。私はそれを伝えるためにはどうしても、言葉だけでは駄目だと。こういう写真を見てみるとね、本当に自分らの子供、あるいは周囲にいる子供たち、そういう子供たちが犠牲になってるんだ。そういう戦争をしてはいけないんだということを伝えるためには、この記念館というのは、どうしても必要だと」

私達に示された課題「報復の連鎖を断ち切ること」
これまで修学旅行や平和学習などで利用されてきた記念館だが、新型コロナウイルスの影響で来館者は激減し、収入の多くを占める入館料は例年の3割にまで落ち込み運営が厳しい状況が続いている。

また、運営するスタッフも高齢化が進む中、政勝さんは記念館存続の為に行政の支援が必要だと訴える。
対馬丸記念会 代表理事 髙良政勝さん(82)
「国が行政が旗振りをして、みんなを疎開させたわけですよ、押し込めたわけですよ。今になって、わしは知らんというようなことは許されないと思うんですよね」
政勝さんの平和への思いとは裏腹に、世界ではロシアによるウクライナ侵攻や台湾有事など報復の連鎖が起こっていると、2022年5月に開かれた復帰50年の式典で訴えた。
対馬丸記念会 代表理事 髙良政勝さん(82)
「この報復の連鎖を断ち切る努力を一人ひとりがすること。これこそが対馬丸の子供たちから指し示された私たちへの『課題』ではないでしょうか」

対馬丸記念会 代表理事 髙良政勝さん(82)
「国策のために、弱い国、弱いものがいじめられる犠牲になると、これは今も昔も、そして国が違っても一緒だなと、人間ってなんて愚かだなと。せめて沖縄の周囲の人だけでも記念館来てですね、それはいけないと。戦争はいけないと、こんな子供たちがたくさん亡くなってるんだということですね。肌身に感じてもらいたいなと」

対馬丸の悲劇から78年。生存者や遺族が繋いできた平和への灯を私達は消してはならない。
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